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六花・・・雪の結晶

  • Post on 2019.11.25 10:40
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「六花」(ろっか)は、いろは横丁の松竹小路側にある小料理店です。

六花とは、雪の異称のことで、雪の結晶が六角形であることから「りっか、りくか、ろくはな、ろっか、むつのはな」等と呼ばれているようです。

噂(本人の話?)によりますとママはお嬢さん育ちらしく、また以前は夫の勤務の関係で、海外にも2度(米国テネシー州に1年半、ドイツに3ヶ月)滞在していたそうで英会話も堪能なようです。

六花のママさんは、自宅で事前に料理を作ってから持って来ることもあり、開店は夕方6時前後になります。

〇入口


この店は、前回掲載した「小町」のママの紹介で来店しました。
小町が満員の時に紹介している店の一つでした。
小町と比べ客数も少ないことから、私たちは時々「毎朝9時に出勤している小町のママを見習った方が良いよ!」などと言うことがありますが、数か月前には虫の居所が悪かったらしく、怒ってしまいました。


 翌日、ママから「すみませんでした。言い過ぎました。」とのメールがありましたが、私と友人はしばらく行っていませんでした。
先日、数か月振りで行ったところ、なぜか珍しく満席でした。
※少しだけ若い頃の写真です。

〇若い頃の写真

仙台支社 赤間


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山寺

  • Post on 2019.11.18 13:43
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全国テンポアップの皆様こんにちは。

突然ですが、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」(しずかさや いわにしみいる せみのこえ)
元禄2年(1689)、おくの細道をたどり、今の7月13日に山寺を訪れた松尾芭蕉のあまりにも有名な句です。
門人たちが嘉永6年(1853)同寺に句碑を建立したそうです。
詳細はHP   ⇓ ご覧ください。
https://www.yamaderakankou.com/origin/


登山口


先週末、紅葉狩りに山形の天童温泉近く「山寺」へ家内とドライブがてら行ってきました。(正しくは宝珠山立石寺というそうです。)
約10年前に一度、訪れましたが、その際は、時間の関係上、登山口~根本中堂までしか行けませんでしたが、今回は夫婦共々老体にムチ打って「奥の院」まで行ってきました。階段を約1000段、所要時間約にして約40分。何かしらの、御利益を求め、頑張りました。

奥の細道

階段


結果、本日、筋肉痛です。(笑)
11月末にかけて各地で紅葉が見ごろとなってきます。地域限定とはなりますが、皆様も
こころを落ち着ける為に、少し足を延ばして紅葉狩り・温泉ツアー等、企画されては如何でしょうか?

なんちゃって仙台人より。



支倉常長ゆかりの地「ミステリーを求めて」

  • Post on 2019.11.11 10:57
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4百年前に伊達政宗の命を受けてヨーロッパとの架け橋となった日本人“支倉常長”
のゆかりの地(仙台市内分)を紹介します。
その前に簡単に略歴を見ますと、伊達政宗の家臣として文禄・慶長の役に従軍し鉄砲隊を率いて活躍。

世界地図

1613年に政宗の命を受け、ソテロを案内人としてヨーロッパへ渡り、ローマ教皇パウルス5世に謁見すなど各地を回り、1620年に帰国。
帰国後、日本では禁教令が発令され、失意のうちに病死(1571-1622年)ということになっています。
ですが、チョットしたミステリーがありました。
なぜか?お墓が仙台市内と県内2ヶ所の3ヶ所あるんです!

① まず市内青葉区の光明寺にあります。
常長の墓

仙台城下の北方に位置する北山五山(仙台城の鬼門を守るために造られたとされている)の中の一つの寺で、常長の亡くなった日は1621年51歳とされている
日本に帰国して間もなく亡くなった
常長のお墓の脇にあるのがルイス・ソテロの記念碑になります。
*ルイス・ソテロ(1574-1624年):フランシスコ会宣教師。
ソテロ

「フィリピンで日本語を学び、1603年、フィリピン総督の書簡を携えて徳川家康・秀忠と面会し、日本での布教活動を行い,禁教令後、捕えられるが伊達政宗の助命により救われ、支倉常長と共にヨーロッパに渡る。1624年、日本に密入国したが捕えられ火刑により亡くなる」

map.jpg

支倉常長のお墓にしてはとても地味で、ちょっとびっくり!かなり寂れ感があるな!
② 川崎町支倉地区の円福寺
地名にもなっているが、円福寺は支倉家の所領だった場所。
支倉常長の居城であった上盾城のふもとにある。
この円福寺で亡くなったのは1622年7月1日となっている。
歴史の誤差としては約1年のずれがあるが、このくらいであれば歴史の誤差としてあり得る。
ちなみにウィキペディアはこの死亡日を採用。
③ 大郷町にある支倉常長メモリアルパーク
常長が帰国してから、この大郷に隠れ住んだと言われている。
この説を裏付けるように、ここメモリアルパークの常長の亡くなった日付は1654年となっている。
光明寺の死亡日に比べると、なんと34年もの差がある。
ここまでくると歴史の誤差では済まないネ!
過酷な旅から帰国した常長だったが、出国した時とは違いそのころの日本は鎖国体制が確立し、キリスト教は布教禁止となっていた。
藩主の命を受けた、常長の功績を表沙汰にすることは出来なかった。
そのため仙台藩は、常長は死んだと幕府に届けを出し、実際は大郷の地で静かに余生を送らせたと言われている。
この説が本当であれば、常長は84歳まで生きたことになる。
【私感】
遣欧使節団の副使でもあったイエズス会のソテロの書簡には1621年に死亡したと書かれているそうで、帰国後数年で亡くなったのは間違いないとする説もあります。
また、様々な憶測のもと、大郷町の隠棲説が有力視されており宮城県内はもとより全国から参拝者が訪れ(こちらの方が整備されているんだよね!)、闇に葬られた歴史ロマンに夢を馳せているみたいです。
③ が真相なのかな?昔の人にしては長生きしすぎ感?もチョット

仙台支社 加藤







『 空が高い 』

  • Post on 2019.11.05 11:15
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こんにちは、仙台支社です。
もう11月に入りました。皆様はテンポアップで仕事始めて何ヶ月目でしょうか?
私は25ヶ月目、仙台に来てまもなく8年になろうとしています。
キャリアを問わず、謙虚に学ぶ姿勢で、プロ意識を持って、取組みたい、と常日頃思っています。行動することが大切、経験を増やすこと、知識を増やすこと、やること沢山あります。

さて、連休中は久しぶりに天気が良く安定していました。
街で仕事していると休みの日は、郊外に出たくなります。そこでお手軽に行ける山へ。

IMG_9088.jpg

何度も紹介している仙台市民の山、泉ヶ岳に行ってきました。
クルマが多くて駐車場は満車、紅葉を見に来ている人が多かったようです(紅葉は既に終わりかけでした)。
早、初冬です。これから冬季は空気が澄んで、空が高く感じます。寒くなってきますね
登山者も多く、スキー場ではパラグライダー、食事のできる店はどこも列を作っていました。
皆、リフレッシュしたら今日はそれぞれ仕事に向かっているでしょう。
テンポアップでは仕事は自分で作る、与えられるものではないから。

仙台支社 坂口


小町・・・露天でめでる彩りの秋:米沢・滑川温泉

  • Post on 2019.10.31 11:06
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「小町」は、いろは横丁の青葉小路側にある小料理店です。
ママさんは近くのマンション?から朝9時前には出勤、10時に藤崎百貨店で食料品を購入し、仕込みを終えて一度帰宅、夕方4時頃の開店に備えております。

小町:

聞いた話によると、以前の客層は近隣の大手建設会社、裁判所、弁護士事務所、大学勤務の人などが多く来店し、「要予約・一見さんお断り」のお店だったようです。
私も大手建設会社の営業部長だった方に連れて来てもらったのが最初でした。私が行ってからは、誰でも入店できるようですが・・・😢

小町4





ママさんは山形県米沢市の出身です。実家は米沢八湯の一つ、開湯約250年の滑川温泉唯一の温泉宿「福島屋」で、現在は姪御さんご夫婦が後を引き継いでいるそうです。
滑川温泉の今年の紅葉は、例年より1週間程度遅く10月下旬が見頃のピークのようですが、秘湯の温泉宿は、例年11月初旬から翌年4月下旬までは積雪のため冬季閉鎖になるとのことです。

小町2


仙台支社 赤間




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